特に七歳五歳三歳を祝うのはなぜ?


男の子は三歳と五歳、女の子は三歳と七歳というように、なぜ七歳五歳三歳を祝うようになったのでしょう。


この七五三の行事は、遠く室町時代から伝わる習わしで、ほぼ現在のような形になったのは江戸時代だといわれます。


男女とも三歳になると髪を伸ばし始めるので、それを祝うのが髪置。


男の子が五歳になると初めて袴をつけて正装するので、それが袴着。


女の子が七歳になるとちゃんと帯をしめるようになるので、それを祝うのが帯解の祝いです。


もとは、土地によって祝いの日も祝う年齢も一定していなかったのが、陰陽道の影響で奇数を尊ぶ習慣から、次第に現在のような七五三の形になったものです。

厄年は単なる迷信ではない?


日本では、昔から厄年という考え方が通用しています。


その年齢の年には、必ず何か悪いことがあるから気をつけうというもので、男性は二十五、四十二、六十歳の三回、女性は十九と三十三の二回がそれで、男の四十二と女の三十三は本厄といって、特に恐れられています。


この厄年というのは何でしょう。


これは、今から千二百年も前の平安時代に、陰陽道の説をもとにしてできたもので、一種の迷信です。


しかし、十九とか三十三という年齢の絶対値を別にすれば、人間は思春期や更年期などに、心身両面で大きな転換期を迎えるものですから、その意味ではすべてが迷信だとはいいきれません。

洋服で男は右前、女は左前はなぜ?

男女によって右前と左前があるのは、長い間の生活習慣によるものですが、次のような説が有力です。


昔、男は右手に武器を持って戦い、あるいは狩りに出たため、服の合わせ目の左が上になる右前のほうが、左手が自由に動かせるために便利でした。


そして女性は、赤ちゃんを左腕に抱くので、何をするにも右手を自由に動かせる左前が便利で、お乳を飲ませるためにもそのほうが好都合です。


なお、日本の着物の場合は、男女とも現在は右前ですが、これは養老年間(千二百年余り前)に、中国が左前を野蛮人の習慣として卑しんだため、それをまねてとり入れたのが、次第に普及したものです。

お墓参りで墓石に水をかけること


お墓参りの時、お花や線香の他に、桶に水をくんで持っていき墓石にかけますが、これはなぜでしょう。


仏教の教えでは、死後の世界の一つに餓鬼道があり、福徳を失った生類が落とされる世界とされています。


そこに落とされた亡者たちがいわゆる餓鬼で、餓鬼たちは誰も彼も、常に飢えと渇きに苦しめられているのだそうです。


先祖のだれかが餓鬼道で苦しんでいるかもしれない、どうか渇きをいやしてくださいと思いやる気持ちから、墓石に水をかける習わしが始まりました。


時にお酒をかけている人も見かけますが、酒好きの故人を慰めるということで、これもよいこととされています。

偶然によって生まれる命


わたしたち人間にあっては、女性の卵子は一時に一細胞だけしか受胎しないのに、それに対する男性のほうは一億もの多量の受胎可能な精子を送り出します。


・・・してみれば、人間が生まれるか生まれないかの機会が、いかに偶発的で運まかせなものであるかが、わかるではありませんか。


双生児の生まれる機会はもっと偶発的ですね。


三ツ児・四ツ児・五ツ児の生まれる機会などということになると、もうまったく絶望にちかいほどの機会しかかんがえられないのです。


・・・それでいて、なおその奇蹟にちかい奇蹟が、往々にして偶発するのだから世のなかは奇妙奇天烈としか言いようがありません。


人生の最初の出発という出生の事実そのものが、まさに運もしくは偶然の、もっとも興味ある実例であるという考え方・・・


これは、フランスの有名な数学者アンリ・ポアンカレの考えの基礎になっていたと思われるのです。


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あの女性は・・・6

整然と片づいたスタジオ。


大きなスケジュール帳。


クライアント関係の書類や保存用のフ・ルムが置かれたオフィス。


すべてが段取りよく、システマティックだった。


そういう意味で彼女はフランス的というよりは、むしろアングロサクソン的であるような気がしました。


露出計も持ってこない、試し撮りのボラも切らない、請求書はしょっちゅう送り忘れる・・・というような、何というか非常に「感覚派」的なカメラマンが多いフランスで、彼女のように緻密で整理整頓されたカメラマンというのは、確かに希有な存在だった。


とにかく彼女には自分の流儀というものがしっかりと確立していて、すべてその流儀にしたがって執り行われなければならない、そういう少し偏屈なところもあった。


それこそ10以上も年下の私が口出しする余地はどこにも見当たらないのだった。

あの女性は・・・5

私も仕事柄、たくさんのカメラマンの人たちを知っているが彼女のようなタイプは初めてだった。


対象を選ばない、仕事に軽重をつけない、という点だけではない。


そのアプローチはとてもビジネスライクで合理的だった。


「午前はこの仕事、ランチはクライアントとの打ち合わせを兼ねて馴染みのビストロCで、そして午後はこの仕事を夜の7時まで」


「これこれの仕事には、これだけの時間と労力がかかるからギャラはこれこれで」


「このギャラとこのぺージ数だと○○時間以上は割けないから、途中でも切り上げる」


こういう仕事の仕方をするカメラマンにそれまで会ったことのなかった私は、正直いってまごつき、時にいらついたのでした。

あの女性は・・・4

実際、彼女は何でも撮る人だった。


インタビュー写真、静物、イソテリア、風景・・・。


カラー写真、モノクロ写真、構成写真、切り抜き写真、自然光の写真、凝ったライティングの写真・・・。


ところで素っ気ない返答で私を「窮地に追い込んだ」ことに気づいたのかどうか、間もなくつけ足すように彼女はいった。


「もちろん、強いていえばスタジオ撮影が多いっていうことくらいはいえるわよ。


コマーシャルやカタログの仕事の依頼は、まず9割以上がスタジオ。


でも私は仕事がくればいくらでもスタジオの外に出ていくわ。


偉くなったからこんな仕事は受けられませんっていうようなカメラマンが多いけど、私はそういうふうにこちらは重要な仕事、こちらは軽い仕事、というような区別をしないタイプなのよ」

あの女性は・・・3

13歳で既に「カメラマンになる」と決意し、17歳で仕事を始めました。


「他にできることもなかったしね」と、軽くいってのけるAさんだが、そういう「たたき上げ」のキャリアが彼女の支えです。


まだ彼女のことをよく知らなかった頃、たいして意識することもなく「専門の分野は何?」と尋ねたことがあった。


私の顔をギョロリとにらみ彼女は答えた。


「私は専門家じゃないの。ジェネラリスト。写真を撮ることが私の仕事。対象は何だって構わない」


けんもほろろのその答えに呆気にとられ、まるで「馬鹿な質問をしてしまった」ことを恥じる子供のような心境に陥った私。

あの女性は・・・2

こんにちは。前回の続きです。


女手一で、といったら今どき怒られるだろうが、彼女はまた、優れて生活力のある女性だった。


「どうしてカメラマンになったの」と、ある日、彼女の車の助手席に座りながら尋ねました。


「さあ、どうしてかしらね。手を動かして何かをするっていうことが好きだったからかな。私は肉体労働者の道を選んだのよ」


その「手」を動かし続けたおかげで、彼女はバスティーユ広場の近くに立派な写真スタジオを設けた。


アシスタントも雇いました。


高額な機材も揃えました。


サンジェルマンに小さなアパートも購入しました。

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